のの子のつぶやき部屋

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【一般小説】高村薫『黄金を抱いて翔べ』高村薫の青春小説は苦い

 

黄金を抱いて翔べ (新潮文庫)

黄金を抱いて翔べ (新潮文庫)

 

 

 マークスのエントリーを早く下に流したいのでさっさと次の記事立てました(^_^;)

 

 高村作品初読感想録、『黄金を抱いて翔べ』です。

 以下既読前提ネタバレ感想です。

 

 

2008年5月23日

黄金を抱いて翔べ読了。

 やたら人死が多かった…と思ったけど、それは主人公が殺す側犯罪者側だったからそう思うんだろうな。

 

 個人的感想としては李歐に次いでラブい話だなーと。李歐はある種の特殊な形の愛だったけど、黄金の二人はあの二人とはまたちょっと違う愛の形。

 モモと幸田の場合は李歐と一彰のような激しくお互いだけを求め合う形の愛ではなく、与え、贖い合う愛の形だ。大きさでいったらモモのほうが大きいかなという気がする。モモには幸田を包むような大きな愛を感じる。許すように愛した。

でも、「愛」とは表現しているものの二人の関係はその言葉そのものの印象ほど親しみ深くはないような気もする…やっぱり許す、という言葉が一番しっくりくるかと思う。

 

 兄を殺したモモはその罪の意識から逃れたいがために無理やりその気持ちを幸田に押し付けたが、幸田は経過はどうあれそれを許容し、許した。そして命を狙われているモモを守ることに決めた。そして幸田はモモのために(計画のためでもあったが、第一はやはりモモのためだ)人を殺した。モモは幸田に贖いきれない罪を背負わせた。

 モモにとっては国島が死んだことよりも、幸田に人を殺させてしまったことの方がショックだったように思える。「こんな男」と言いつつ国島を殺せなかった。そのなんらかの感情のせいで幸田を人殺しにさせてしまった。モモはそれを悔いている、という気がする。案外に脆く、純粋な男なのだ。

 

 一方の幸田はといえば、高村作品の典型的主人公という人物造形をしている。ちょっと浮世離れしていて彼岸に片足突っ込んだような茫洋とした思考に、人のいない場所を求める、ある種のロマンチシズムを漂わせる揺れる男。個人的には非常に魅力と色気を感じるタイプ。そしてこれは読んでいて珍しく断定できるけど、この人男の人が好きです。間違いなく黒。多分春樹にも手を出してるし、モモとも惚れただのなんだの北川に言われてるし、何らかの事実はあったものと思います。

 

 そんな幸田がモモに向ける愛とは一体なんだろう。

 モモという人間を形づくるものは小説を読み終わってもよくわからないが、その愛情の根源ははっきりをとしている。が、物語の主人公である幸田はその行動原理や思想なんかはおおよそ予想できる範囲のものだけど、愛情がなにに、どこに端を発するものなのか、これがよくわからない。

 幸田もまたモモに救いを求め、許されたと思ったのだろうか…。

 モモはなんというか、その懐に勢い良く飛び込んでもなんの抵抗もなくふわっと包んでしまうような柔らかさがあって。そしてその柔らかさを押し付けもする。最初はそれを鬱陶しいと思っていたはずの幸田が、それを受け入れ、求め、守りたいと思うようになったのは何故なのか。

 

 うーん。モモの人間性そのものに惹かれた、惹きつけられたというのかな。

 

 最初から予感はあったのだと思う。それが魚の目だ。

 幸田はモモの優しさというか、情をわざと突っぱねているような印象がある。なんにしても最初から気になる存在であったことは明白だ。そしていつの間にか魚の目は消えてしまった。

何かに浄化されるように、モモの暗い目も憎んでいた街も神父の姿も消えてしまった。

 幸田は変わった。ではモモのなにが幸田を変えたのか。

…わからない。

 なんというか。それらの抑えてきた爆発は消えたというよりも幸田のなかに取り込まれたのではないかという気がする。幸田が変わったからなのか、果たしてそうなったから変われたのかは定かではないが。

 幸田はモモが死んだときも、自分が望んだ「人のいない場所」へ向かったモモを前にして、惜しむでもなく羨むでもなく、ましてや悲しむでもなく「すぐに立ち去らねば」と思う。「ここは自分のいる場所ではない」と。以前の幸田ならこうは思わなかっただろう。だったら変わる前の幸田はどう思うだろうかと考えてもそれはわからないけど、でもこのシーンで確かに幸田が変わったということはわかるのだ。

 モモの死を前に立ち去らねばと思う幸田は自分が何者であるのかはっきりと自覚している。

 死と生の間を彷徨い、限りなく死に近いところで生きてきた幸田が生へ向かって歩きだした。

 

 ………と思ったけど、改めてラストの場面を読んでちょっと思ったけど…。

 幸田ってこれもしかして死……んでる……。

 幸田の思い描いた新しい土地というのは北川のいう「人間のいる土地でもなんでもいい」ところなのかモモのいる「神の国」なのか?

 

(中断)

 

5月24日

 ちょっと調べて自己解決。

 ラストシーンは、読む側の受け取り方次第というか。(初稿では幸田さん死んで川に流されてるらしいけど…)

 文庫版読んで、私は最初幸田は生きている、と思ったんでやっぱり生きててほしいと思う。

せっかく色々な柵から逃れて生きることと向き合ったのにその直後に死んでしまうなんて…。

 でも、救われ、解放されて死ぬっていうのもある意味幸せなことなんだろうか…。

 けど…北川がようやく向き合えたって言ってるのに。それなのに目の前で死なれるの可哀想では…。

 読者のなかでは死亡説唱える人が多数。

 まあ死のカタルシスは美しいですし……。

 モモと二人、神の国で心を語り合う、かぁ……。

 

 

以上。

 

 

 

 

 幸田生存説に縋り付きたかったあの頃……。

 今でも、幸田が死んだラストと生きてるラストとその後をどっちも考えたりします。高村流青春小説としては死んでる方が青春って感じがしますが。

 取り返しのつかない後悔や過ちがそれ即ち若さである、ということだと高村作品を読んでいて思うから。

 

 でもいち読者としては、物語をどう受け取るも自由だとも思うので。

 どっちもある、と思っていたいです。