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のの子のつぶやき部屋

BLとかBLとかBLとか。少女漫画とか。他にも。ただの萌え語り。基本ネタバレ。

【一般小説】高村薫『マークスの山』人間臭さとは人の醜悪さと同義なのか

 

マークスの山(上) (講談社文庫)

マークスの山(上) (講談社文庫)

 

 

 高村薫布教強化期間ということで。

 マークスの山です。

 布教っていってもこの作品大ベストセラーなので今更感ものすごいですが…。

 

 高村薫にドボンした直後に立て続けに作品を読み、当時書き残したライブ感ある感想を書き起こしてみようと思ってまたエントリー立てました。

 前回の李歐の感想はこちら↓

cobaltblue.hatenablog.com

 

 以下やっぱりちょっと恥ずかしい感想です…。(当時誰に見せるわけでもなく勢いのまま書いた文章なのでいろいろ変なところもありますが…当時の感想ということで改変はしてません)

 

 前半は高村薫作品の個人的印象の話が長くダラダラ続いて、そのあとマークスのネタバレ感想になります。

 

マークスの山 2008年5月4日

 読み終わってAmazonレビューを見たら意外と評価が低いことに驚いた。実際レビューの内容を読んで納得。評価は2極化されていて、つまらない人にはつまらなく、でも面白い人には素晴らしく面白い。そんなわけで評価が割れているよう。

とは言えその年のこのミス(94年版)の1位だし、直木賞も受賞した作品だから総合的には評価は高い。

 では、何故つまらないと感じる人がいるかと考えると独特ともいえる文体のせいでもあるだろうし、その癖のある文体でじりじりと真に迫る文章を全編に渡り繰り返されるとなれば合わない人には苦痛と感じても仕方ないかなと思う。

 

 読み終わって私自身の感想はといえば、まずは一言面白かったと。でも、この「面白い」をさらに掘り下げて言葉で説明するのが非常に困難に思われる。

 

 初めて読んだ高村作品は『リヴィエラを撃て』だったが、あの時も読み終わった後はなんとも言えない気持ちになった。作品の内容云々というのではなく、(そもそもあの時の自分に内容すべてをきちんと理解できていたとは到底思えない)読み終わった後の読後感が凄まじかった。物語を読み進めていくうちに沈殿していた虚しさに息が詰まる思いだった。けれど、それと同時に言いようのない突き抜けるような高揚を感じた。それは清涼で清々しい気配だった。圧倒的な質量を持つ何かが私の中を通り抜けていった。

 そんなような感じで私はわけもわからず「なんか…凄い…」と思ったのだった。

 トーマの心臓で体験したいわゆる萩尾望都体験と同じような、高村薫体験とも言えるようなものだったのだと思う。

 望都さまのときは作中の登場人物に感情移入しまくって、ユーリとシンクロしてしまい最後にドーーーンと打ちのめされたのだったが、高村女史の場合はただただ物語の持つ質量、重さに圧倒されたという印象。作中の人物に感情を移そうにも視点が切り替わるたびにそうはしていられないし、特定の誰かに入れ込もうとしてもなかなかそうはできない。それに高村薫の書く人物に自己を投影して、じっくり読んだりなんかしたらそれこそに2、3日は立ち直れないくらいのダメージを負いそうな気がする。傍からジッと見ているくらいの距離でいい。

 では、人物ではなく、物語の持つ質量とは一体何なのだろうか。そもそも、この感想は読後感をあえて言葉にしてみたらこんな感じ、というような自分の中でも曖昧なもので画してこうだと断言できるわけではない。

 その辺をちょっと踏み込んで考えてみると、それは単純に言えば物語の構成ということになるんだと思う。構成の巧みさ、エピソードの積み重なりが質量として迫ってくる。

 例えば、『李歐』と『わが手に拳銃を』とを比べた場合、物語の質量としての重さと面積は大きく変わったと思う。

質量の感覚のイメージとしては『李歐』の場合は体感するなら全身が包まれるような体感で、包んでいるのは羽のような軽いもの。けれどそれが全身を押しつぶすような質量で迫ってくるような感覚。『わが手~』は傍らに鉄の塊がごろんと転がっているのをただ見ていて、その鉄を手にとってみてはじめて重い、と感じるというような、手の中に収まる質量だという印象。

 この両者の感じ方の違いが結局、物語の構成の違いということなのかなーとおぼろげに感じている。

 とはいえ、私に実際構成の良し悪しを語るだけの知識もなにもあるわけではないし、読んでみてより面白いと感じたのは改稿版の『李歐』の方だったかなーと単純に思う。

 でもそれも全体の印象で、個別にそれぞれ好きな場面は多々あり、『わが手~』のラストシーンはとても萌えたし(結局そういうことかよっていう…)

 

 ということを、踏まえつつの『マークスの山』はというと。やっぱり読後感が凄かった。

  読後は目の前が開けたような感覚でぱーーっとさわやかなんですが、物語自体の質量としては、すくってもすくっても指の間をぼたぼたとこぼれ落ちていく泥のよう。ただ、それだけではなくて。

 泥というのはつまり体制であって、それを必死に掻き分けて前に進むのが主人公の合田をはじめとする多くの体制側の登場人物。でも、その泥とは全く関係ないところで転がっている壊れた玩具があって、それがマークスこと水沢裕之である。

 『マークスの山』には『李歐』で感じたような目に見えない質量はない。あるのはじりじり迫りくる現実のみ。かといって、物語そのものがリアルかといえばそういうわけではない。

 体制側の内情なんてこうして小説やドラマでみるくらいの知識しかないし、実際にその場を体感したことがなければ知り得ないことが多すぎるのだから、警察機構の真のリアルというものを求めるのがナンセンスだという気がする。求めるのは乾いたリアルではなく手に汗握るリアリティである。

 リアルさで語るなら、登場人物の人間臭さでそれは語れると思う。

 警察だのなんだのはあくまで舞台装置であって、それを動かしている人間に少しでもリアルがあればどんな設定の上にも「リアル」は書けるのだと思う。

 

 そういう意味では、高村薫の書く人物というのはリアルと表現するよりは、人間臭いというような表現になるような気がする。ドロドロと腹の底で思い悩む心理描写や、ふとした行動がなんだか「におう」

 高村薫が苦手だという感想で心理描写がくどいという人がいるが、私の場合は逆にそれが好きで読んでいる感がある。

 思い悩む男は色が漂う。いい年して不安定でグラグラとしている様が好きだと思う。あくまで読みものとしてってことだけど。

 加えて女性が書く男だと思って読んでいるからか、作中の人物が語るというよりは、作者もしくは読者の目線で語る人物を暴いていくような感覚がある。どんどん皮を剥いて丸裸にしていく。だから、語る人物に色気を感じるのかもしれない。丸裸の心情を物陰からこっそりと覗き見ているような。隠微ですね。

 

 話を戻してマークスの感想ですが、

 最初読み始めたときは、これミステリーじゃんと思った。はじまりはまったくミステリーなのです。謎を孕んだ導入部から、物語は犯人であるマークスとそれを追う合田の物語となる。

 ただ、最初のうちミステリーだと思っていたけれど、読み終わった後ではそうは言えないと思った。

 レビューではミステリーとしては2流だと書かれたものがあったが、たしかにその通りなのかもしれないとも思う。

 

 ミステリーにしては、事の真相があまりに陳腐なものだったからだ。学生運動やらなんやらそういったことを知らないでこういうことは言えないのかもしれないけど、ちょっと拍子抜けするくらい矮小で下らない結末だった。だけど、どこまでも人間臭いと思った。

 彼らは完全な悪ではなく、欲を持った、我の強い、ただの人間なのだった。ではただの人が殺人を犯すのだろうか。実際のところは彼らMARKS(の一部)の人間は殺人を計画したが、手をかけてはいない。偶発的に起こってしまった殺人であった。だが、彼らは自己の保身のために些細な傷さえ許されぬという強迫観念に駆られ死体を隠すことにした。世間から隠し、自らの記憶からも消し去った。正確には野村の死はただの事故だった。殺人は行われなかった。では野村がもし死んでいなかったとしたら?果たして殺人は行われたかと考えると、行われなかった可能性だって大いにある。むしろその可能性の方が高いんじゃないかと私は思う。

 いうなれば、彼は彼らの意図しないところで殺人者になってしまったのだとも言える。そうだとしても、保身のために殺人計画を立て、そして人ひとりの死を隠匿するその手口は醜く矮小である。

 そして、そんな彼が、どこまでも人間臭い彼らが、もはや人から逸脱してしまった精神異常者である水沢に殺されていく。しかも水沢は自らをマークスと称し、彼らに近寄る。彼らの過去に置いてきた狂気こそがマークスなのではないか。彼らは自らの過去の狂気に殺されたのだ。

 山で狂ったMARKSの5人と、山に狂わされたマークス水沢裕之。

 山、山、山だ。

 なぜ山なんだろうか。山にそこまで人を狂わせるなにかがあるんだろうか。

 

 またレビューの話だけど。水沢を狂人にした理由がわからないとあった。私も最初はそう思ったけど、改めて考えた結果が上記の通りである。

 

 でも、水沢、マークスはもう少し掘り下げてほしかったなーと思った。どうして赤いものに執着するのかとか。もう一人の人格ももう少し見てみたかった。とはいえど、狂った人物の心理描写はとてもおもしろかった。カオス具合がなんとも頭の中をぐちゃぐちゃにしてくれて。

 

 最後に主人公の合田雄一郎について。

 なんか、影が薄い…?イイ男ではあるんだけど、他の七係の面々が濃いから堅実な合田はちょっと地味に見えてしまう。

 真面目さでは森、お蘭の粘るような陰湿さの前には形だけのようにも思えるし、キレも吾妻の弁舌に比べるとスッキリしない。誠実かといえば職務に関しては概ねそうであるといえるが、妻に対するそれはあまりに配慮に欠けているように思う。熱中していても途中でぽっと抜けてしまうような諦観も窺えるし、なんだか中途半端な男だな、と。

 七係の人間だとお蘭が私は一番好きかな。意固地で堅くて。嫌われ委員長タイプって感じ。根暗そうだし。

 合田さんの人間性ってのは上等なのでしょうが、小説の登場人物、それも主役を張るにはちょっと華がないような。でも今作の場合はひたすら事件を追う役回りだったから仕方ないといえば仕方ないのかも。合田さんの内面ではなく、事件そのものの内面を語る語り部だったわけだから。

 というわけで、合田さんについては他登場作2編に期待。あらすじを読む限りかなり期待できそう。

 

 以上。

 

 

 

 

 

 

 合田さんに対して最初ここまで辛辣だったとは……。

 

 ちなみに読んだのは多分ハードカバー版だったと思います。

 このときの自分の腐女子センサーには加納と合田義兄弟は全く引っかからなかったようで、まだ健全だったんだなーと思います…。(それでもレディー・ジョーカー読む頃には完璧に仕上がってしまいましたが)

 

マークスの山〈上〉 (新潮文庫)