【BL】一ノ瀬ゆま『gift ㊤ 白い獣の、聞こえぬ声の、見えない温度の、』 純粋で無垢な者は死ぬという法則
gift 上 白い獣の、聞こえぬ声の、見えない温度の、 (バーズコミックス ルチルコレクション)
- 作者: 一ノ瀬ゆま
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2015/06/24
- メディア: コミック
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更新頻度低すぎでもはやこれ意味あるのか状態…。
相変わらずちょこちょこBLは読んでおります。感想を書かねばーと思うものもあるのだけど、個人的に感想は読み終わっての初速(=興奮度)が早くないと中々書く気にならずでして…。
だけども。
久々に読み終わった後、おおおっとなった今作。
読んでまず思ったのは。
懐かしの野島伸司のドラマのようだ…w
野島伸司のドラマ、と言われてピンとくる方はもうお分かりかと思うが、今作とにかくキャラの過去が暗い。というかキャラが暗い。
どれくらい暗いかというと、過去のトラウマで人格が破壊されているくらい暗い。痛々しい系の暗さ。
でも正直、そういうの大好きです\(^o^)/
主人公は、ボクシングジムのトレーナーをしている24歳ゲイの青年、御子柴宥(ゆたか)受け。
お相手は白石勁。19歳。ふらふらしてる所を宥に拾われる。攻め。
宥が主人公なら、勁は主役という感じ。
タイトルの「gift」も勁のボクシング(もしかしたらそれ以外も)の才能のことだ。神様からの贈り物。普通の人は持ち得ない才能を勁は持っているということらしい。
が、
その勁の「gift」才能は彼の過去、生い立ちが形成したものなのかもしれない。
ロシア人を祖母に持ち、母親には産んですぐに捨てられ、そのことを父と兄から責められ暴力を受けた幼少期。
勁いわく、小学校に入る前にはすでに父親や兄に売春を強要されていたという。やがて父親は逮捕され、勁は児童相談所に預けられる。
中学に入って、過去を知った同級生からイジメを受けた勁は、過去をからかった同級生をレイプする。勁は「レクチャーしただけ」という。
その後も色々あって、ある日宥と出会いボクシングを始めて頭角を現していく…。
とにかく、勁の過去の悲惨さと人格崩壊っぷりがヤバい。
勁の内面を表現する時に、幼い勁(多分売春をさせられるようになったあたり)がテレビゲームをする、という表現で描かれる。
勁にとって現実はゲームで、まるで現実感を欠いている。勁にとって生きている、ということはゲームの画面を選択しているだけ。
ただそれだけの世界だ。
精神的には完全に解離している。しかも加えて、どうやら人格も分離している。精神医学的な解離性をテレビゲームと、テレビの画面で表現している。あくまで漫画的にこのように勁を表現しているということなのかもしれないけど、わかりやすい。ちょっと画的な表現が浮いている感じはあるけど、でも上手いなーと思った。
そんな、画面の向こうの世界だった現実に突然、宥という存在が現れる。
勁のとって宥のような人物は今までに会ったことがなく、やがて勁は宥だけは他の人物と違うと感じ始める。
他の人は画面の奥にいるような感じ。でも宥だけは、ここにいる。
そう宥に告げる勁。
これは多分、宥が好きということなのだと思うが、勁はそういう一般的に誰もが持ちえる感情が欠落している。
だから、宥が他の人と違う、とはわかっても、どうして違うのかはわからないし、それをどうして、と考えることもしない。
作中で宥も言っていたが、勁は自分自身で物事を考えるということが苦手だった。それは勁の生い立ちがそうさせる。
ボクシングのトレーニングも宥に言われたことを、なんの疑問も抱かず、言われたとおりに全てこなす。肉体の苦痛はあるのに、それも厭わず、とにかく言われたことはやる。
宥はそんな勁を見て、誰もがこんな風にやってのけることはできない、と独白する。
難しいとか簡単だとかいう次元ではなく「特別」だと言う。
正しく神からの贈り物、ギフト、だと。
努力を努力と思わず当たり前のようにこなし、肉体的苦痛を苦痛と思わず抵抗せずに受け入れる。そういう勁のその在り方は、ボクシングにとことん合っていた。
しかし、その勁の特性を形成したのは幼少期の虐待だ、ということを宥は忘れてはいないだろうか。
勁の普通でない在り方を「神からの贈り物だ」と嬉しく思う宥。
今まではそういう勁の「輝き」に良くないものばかりが吸い寄せられていたが、けれどこれからは…未来に期待する宥。
そんな変わっていく勁の姿をそばで見ていけるという幸せを感じる宥。
もう、こんなん特大のフラグにしか見えなくて…(^_^;)
この宥という男は、基本的に恋愛脳で、直情型。良く言えば素直だが、悪く言うと視野が狭い。宥はゲイであるということを除けば、ごく普通の人間で、勁のような人間をすぐに理解できるような人格のベースがない。だから勁のことをよくわかってないし、わかろうと努力しているようにも思えない。ただ、分かった気にはなっている。それが宥の甘さというか…勁が好きで好きでどうしようもなくて頭お花畑状態\(^o^)/
勁はそういう宥の素直さ、真っ直ぐさに救われているところもあるんだろうけど、そんな宥に、果たして勁という人間を今後支えきれるだけの度量はあるだろうか、と現時点では心配。
でも、タイトルとか見る限りは、その辺もちゃんと考えて描いてるのかな?と思う。キャラの名前とかもすごく暗示的といえばそう見えるし。
勁のような、二次元における「無垢」系キャラというのは結構いて、過去は悲惨なんだけど何にも染まっていない、みたいな。
汚れを知ってしまうと、汚れとそれに伴う苦痛と向き合わなければならないから、無垢でいるしかない、というか。
無垢というのはつまり子どもと一緒だ。子どもは成長するにつれ、汚れを知って無垢ではなくなり、やがて大人になる。
ある程度成長しても、まだ無垢と言われるような存在は内面的に成長のない子どもと同義だ。
勁の内面もずっと子どもの姿で描かれる。勁のトラウマの原因が幼少期にある、ということもあるのだろうが、勁は精神的にはまだまだ本当に子どもなのだ。
そして、こういう「無垢系二次元キャラ」は作中で終わりまでに成長を遂げないと最後に死ぬ確立が非常に高い(個人の所見)
成長と言うのは、つまり汚れを知り、痛みを受け入れて無垢で無くなる(大人になる)ということだ。
無垢なまま成長する、という矛盾は創作世界の中では存在しえないものなのだ、と私は思っている。
所謂、泣きゲーというのは、無垢系二次元キャラのオンパレードで(といいつつKey作品くらいしか知らないのだけど)大体ヒロインに暗い過去があったりして、ろくな目に合わない。そして感動エンドで死んじゃう。
こういうゲームの無垢な少女は無垢なままでいないといけないので、成長して汚れを知るということが許されない。成長しない者は世の中(あるいは作品世界)では異質な存在なので、存在し続けることが許されない。無垢なまま成長するという矛盾は許されないので、成長して無垢で無くなるか、無垢なまま死ぬか、の選択肢しかない。
無垢でなくなった瞬間、少女は女に成長して、その処女性や、神性は失われ、ただの人になる。そうしてやっと生きられるようになる。
そして、これは少女キャラに限ったことではない。むしろBLにこそこの無垢要素が強くでる気がする。
※これから下、既存作品の確信に触れるような部分があるため、文字薄くしてます。「風と木の詩」「願い叶えたまえ」の2作品。Amazonレビューとかブログとか読んでちょっとでも気を引かれて、これから読んでみようかな、と思った人でネタバレが嫌な人は絶対に読まない方がいいです。間違いなく面白さが半減します※
BLジャンルで真っ先に思い浮かぶ、無垢系二次元キャラは「風と木の詩」のジルベールである。
いつか、詳しく書こうと思っているけれど(いつになるやら…)ジルベールは作中で何度も「ふつうではない」と言われる。天使だとか人魚だとか言われてまるで人間扱いされない。それはジルベールがどんなことをしても汚れない存在だからだ。少年愛における純潔と穢れ、そして性愛の在り方は少女のそれとは少し違う。
少女というのは肉体的に最初のただ一度の行為で純潔を失い、処女で無くなる。
でも少年というのは、端的にいうと破瓜という現象がない。あるのはただの痛みと屈辱のみだ。少年には守るべき肉体的純潔が最初からない。もちろん男だから妊娠もしない。少年が守るべきは男のプライド、ただそれだけだ。そして、男同士の性行為はマウンティング行為でもある。相手を自分の下に置いておきたい、自分のほうが上位の存在なのだと知らしめたいという気持ちの場合もある。
オーギュはジルベールを汚そうと何度も何度も辱めるが、それでもジルベールは決して堕ちない。いつまでも無垢で、精神的に子どものままで、成長をする(汚れを知って絶望する)ことをしない。
そうして、ついぞ世の汚れを知らない無垢な子どものままジルベールは死んでしまう。ジルベールが汚れを知らずに生き続けることはできないからだ。
ジルベールのプライドが、己の矜恃が折れることを許さない。絶望を知らずに少年は大人には成れない。
一方、セルジュはジルベールと関わることで、何度も何度も傷ついて、周囲の大人に穢され、絶望して、そうして成長し大人になっていく。極めつけがジルベールの死だ。セルジュは、ジルベールの存在とそれによって経験した諸々を「青春の在りし日」と表現する。セルジュは物語の最後には完全な「大人」になっている。すでに10代で年よりも大人びて見えるというセルジュと、そんなセルジュと対比する天使のようなジルベール。何度も絶望し、苦しみ、悩み乗り越えて成長したセルジュと、どんなことがあっても絶望することなく、怒り、苦しむことを拒否し、何者も汚すことが出来ず無垢なこどものまま死んでしまったジルベール。
それか、もしかすると最後の最後で絶望し、それを受け入れることが出来ずに大人になることに失敗して、死んでしまったのかもしれない。(このあたりのことは別でちゃんと書いてみたい)
どちらにしてもやはり、ここでも無垢で成長を遂げられない存在はそのままの在り方では生きることが許されない。
もう一作品、どうしても言っときたいのが、西田東の「願い叶えたまえ」という作品。
これも結構昔の作品なのだが、やくざもので良作と聞いたので読んでみた。
これが凄かった。すぐ感想書こうと思ったけど2,3日ぐるぐる考えてしまった。この作品を読んで、純粋で無垢なものは作品世界では生きられないのだな、と考えるようになったのだ。
主人公の深見は今作の勁にちょっと似てるかもしれない。その凶暴性とか、透明感とか。
透明感という表現があっているかは疑問だが、やはり無垢なのだ。
透明で、混じり気がなく、研ぎ澄まされている。
読み進めていくとどんどん深見さんに死亡フラグが立って苦しくなってくる。もうこれ死ぬしかないだろ、と思った物語終盤。結末は予想したものとは違った。
最後に主人公の深見は、記憶を無くしてしまうのだ(忘れているふりをしているような描写にも見えるが)どんどん追い込まれ、いよいよ絶望に直面した時、深見は過去を捨てた。
また新しい自分に生まれ直した、とも言える。記憶を無くし、過去の自分は死んで(あるいは自分の意志で殺して)しまった。
そして、リセットして真っさらになったということは精神的にはまた子供時代に戻ったということになる。
でも、物語の最後の雰囲気では、今度はきちんと色んな物を受け入れていけるだろうな、と思えるものだった。
第2の人生というやつ。
すごく感動する作品なので、是非もっと多くの人に読んで欲しい。
と、まあこうやって、無垢系二次元キャラの系譜で今作の勁を見てみると。
成長しなければ、未来はないのは確実だ。
でも、そこで残酷なのが、勁が成長してしまうと「ギフト」も失われてしまう可能性が高いということだ。
今の勁のボクシングの才能は、恐れを知らない子どもだからこそ持ちえるものなのだ。
人を殴るには、殴られる覚悟もいる。殴られる、というのは普通は恐怖だ。そうしてその恐怖を克服して、あるいは抑えこんで相手の間合いに飛び込む。
勁の現時点での強さは、勁には殴られることに対する恐怖がないからあり得る。人を痛めつけることも、自分が傷めつけられることにも恐怖心がない。恐れを知らないから勁は強い。
でも、成長を遂げ、痛みを知り、更に痛みを知ったことで恐怖も覚えた時に、果たして勁は以前の強さを保ったままいられるのか。
そうやって、痛みや、苦しみの中でそれでも前に進もうとできる人間というのが本来の意味で強い人間。苦痛を耐える精神力を持っている、それこそが「神からの贈り物」といえるんじゃないだろうか。というかそうであって欲しい。単純なボクシングの才能もあるんだろうけれど、作中では、痛みを知らず、恐れを知らない事が才能だという描かれ方をしているので(宥の思い込みとして描いてるのかもしれないけど)それが間違いである、と否定してほしい。
単純に勁のひたむきな所と、無欲な所を「輝き」といっているのかもしれないけど、どうにもそうは思えない。
やっぱり宥の頭がお花畑だとしか思えんww
というわけで、ここまで書いたけどこれなんと上巻。
下巻は2016年冬頃発売ってことで、先は長い…。